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大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)2324号 判決 1967年7月31日

原告 青木ユキヱ

<ほか二名>

右原告三名訴訟代理人弁護士 三橋完太郎

被告 西濃運輸株式会社

右代表者代表取締役 田口利八

右訴訟代理人弁護士 梅田林平

主文

一  被告は、原告青木ユキヱに対し二、七六八、二六八円、同青木堅に対し二〇八、〇〇〇円、同青木スギに対し二三三、〇二〇円及びこれらに対する昭和四一年五月二〇日から支払ずみ迄年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限りかりに執行することができる。

五  但し、被告において原告青木ユキヱに対し二、二〇〇、〇〇〇円、同青木堅、同青木スギに対し各一八〇、〇〇〇円宛の各担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

第一  本訴申立

被告は、原告青木ユキヱに対し三、六九五、一九九円、同青木堅に対し六一六、〇〇〇円、同青木スギに対し七三九、八三一円及びこれらに対する昭和四一年五月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

第二  争いのない事実

一、交通事故発生

発生日時 昭和四〇年二月一八日午後四時ごろ

発生場所 大阪市東区谷町一丁目四〇番地先大阪府道長柄堺線(コンクリート舗装)の信号のある交差点

事故車  大型四輪貨物自動車東京一い七五九九号

右運転者 訴外下崎省一

受傷者  原告青木ユキヱ(当時一八才)

態様   訴外下崎省一が事故車を運転して前記交差点を東側から進入し南へ向けて左折した際、同交差点南側の横断歩道上を東から西へ横断歩行中の原告ユキヱと事故車前部が接触し、同車右前車輪が同原告の足部を轢過した。

受傷   原告ユキヱは右下腿高度挫滅創兼表皮前離創、左下腿挫滅創、左足関節部挫創の傷害を受けた。

二、事故車の運行供用と訴外下崎の雇傭関係

被告会社は本件事故車を所有し且つ運送業のためこれを使用していた者であり、訴外下崎は被告会社に雇傭されていたもの。

三、原告堅は同ユキヱの父親、同スギは同ユキヱの母親、である。

第三 争点

(原告らの主張)

一、原告ユキヱの後遺症

(1)  原告ユキヱは前記傷害のため昭和四〇年二月一八日から同年一一月一二日迄入院加療し、同月一三日から昭和四一年二月初旬迄毎日通院加療を受けたが全治せず、なお一週間ないし三週間に一日の割合で通院加療を受け、毎日自宅の風呂で入浴マッサージを行なっている。

(2)  歩行又は佇立を続けると両下腿及び足背部の腫脹、両膝及び両下腿部の疼痛を来し、正座は最大一〇分以上の継続は不可能である。

(3)  右大腿及び膝部と左下腿部の植皮部に知炎鈍麻が存在する。

(4)  植皮のため右大腿及び膝部、左下腿部、採皮のため腹部及び左大腿部に各々瘢痕が存在し痛痒感がある。

二、原告ユキヱの損害額 合計三、六九五、一九九円

(1)  逸失利益(五八才迄四〇年分) 二、六九五、一九九円

原告ユキヱは本件事故発生当時一八才であり浦安工業株式会社に事務員として勤務し、年二回の償与を含めて一ヶ年二六四、三〇〇円を下らない収入を得ていたところ、前記後遺症により同原告の労働能力は半減したから将来右の五〇パーセントにあたる一ヶ年一三二、一五〇円の減収が予想され、本件事故後の就労可能年数は四〇年を下らないから、その間の得べかりし利益からホフマン式計算により五年目毎に年五分の中間利息を控除した二、六九五、一九九円が同原告の得べかりし利益の本件事故時の現価でありこれと同額の損害が生じた。

(2)  慰藉料            一、〇〇〇、〇〇〇円

原告ユキヱは、前記の如き深刻な傷害並びに後遺症を受け、一生この後遺症のため肉体的精神的苦痛を受けることになる。殊にその傷痕は女性にとって致命的な部位、程度のものである。年令一八才にして将来人並に就労することが不可能になったばかりでなく、結婚も極めて困難であることが予想され、この精神的損害に対する慰藉料は一、〇〇〇、〇〇〇円を相当とする。

三、原告堅、同スギの損害額

(1)  原告堅の財産的損害    四〇三、五三一円

(イ)  入院雑費、通院交通費 二八七、五三一円

(ロ)  風呂設置代      一一六、〇〇〇円

右風呂は原告ユキヱのマッサージ治療の為必要であるので原告ら自宅に設置したものである。

(2)  原告スギの逸失利益    三一〇、七〇〇円

原告スギは飲食店二鶴に勤めて固定給一日一、〇〇〇円及びチップ一日三〇〇円以上の収入を得ていたところ、本件事故のため原告ユキヱの前記入院期間中(昭和四〇年二月一八日から同年一一月一二日迄)及びその後昭和四〇年一一月三〇日迄同女の付添看護のため欠勤した。よって右欠勤期間中(二八六日)中少なくとも二三九日出勤し得たと認められるからその間の得べかりし利益三一〇、七〇〇円と同額の損害を蒙った。

(3)  原告堅、同スギの慰藉料 各五〇〇、〇〇〇円

原告堅は結核のため雑役程度の仕事しかできないので、同原告と原告スギは共働しながら長女である原告ユキヱの将来を楽しみにしていたのに本件事故に見舞われ、癒すことのできない精神的苦痛をうけた。この精神的損害に対する原告堅、同スギの慰藉料はそれぞれ五〇〇、〇〇〇円を相当とする。

四、本訴請求

原告らは事故後被告から、右三(1)(イ)の入院雑費、交通費二八七、五三一円及び同三(2)の原告スギの逸失利益中七〇、八六九円合計三五八、四〇〇円の弁済を受けた。

よって、被告に対し、原告ユキヱは右二(1)(2)の合計三、六九五、一九九円、同堅は右三(1)(ロ)(3)の合計六一六、〇〇〇円同スギは右三(2)の残額二三九、八三一円と同三(3)の合計七三九、八三一円及びこれらに対する本件訴状送達の翌日である昭和四一年五月二〇日以降支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(被告の主張)

一、示談の成立及び弁済

被告は昭和四〇年二月一九日、原告らに対し、入院治療費七八七、一五九円、付添人費用二二七、六八〇円、雑費一二、二八〇円、慰藉料及び得べかりし利益の喪失填補として二一〇、〇〇〇円合計一、二三七、一一九円を支払うことを約し、昭和四一年三月一〇日迄に右金員を完済し円満解決した。

二、仮りに右事実が認められないとすれば、女性は結婚適令期がくれば通常の場合結婚して職を去り家庭人となるから、原告ユキヱの就労可能年数は一〇年とするのが適当である。

三、原告ユキヱの傷痕は未だ原告堅、同スギの慰藉料請求権を発生せしめる程度のものではない。近親者固有の慰藉料は死亡にも匹敵する程度の傷害の場合に限られる。

第四 証拠≪省略≫

第五 争点に対する判断

一  原告ユキヱの後遺症

原告ユキヱ、同スギ各本人尋問の結果によれば、本件事故による受傷のため原告ユキヱは昭和四〇年二月一八日から同年一一月一二日迄入院し、退院後は昭和四一年二月初旬迄は毎日、その後同年五月初旬迄は一ヶ月に二、三日の割合で通院治療を受け、自宅でマッサージ治療を続けていたことが認められ、≪証拠省略≫によれば、原告ユキヱは、歩行又は佇立を続けると両下腿及び足背部が腫脹し倦怠感並びに下腿部関節の運動障害及び両膝と両下腿部の疼痛を来し、正座は短時間しか継続できず、腹部及び左大腿部から採皮して右大腿及び膝部、左下腿部に植皮したため、各採皮部及び植皮部に瘢痕が存在し、温かくなると痒感が生じ、右各症状並びに瘢痕は固定して治癒の可能性はないものと認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

二、原告らの損害

(1)  原告ユキヱの逸失利益

≪証拠省略≫によれば、原告ユキヱは本件事故当時浦安工業株式会社(以下浦安工業という)に事務員として勤務し、年二回の償与を含め、一ヶ年二一〇、三五〇円の収入を得ていたことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

≪証拠省略≫によれば、原告ユキヱは昭和四一年五月初旬から右浦安工業に出勤しているが、前記後遺症のため、歩行を要する右会社の取引先への書類伝達が出来なくなり会計帳簿の整理事務に職務換となったが、長時間の勤務ができず、右出勤を始めてから現在迄毎日午後一時ごろ出社し、午後五時迄に退社し、一ヶ月につき三、四日休むことが認められ、右事実と前記後遺症とを併せ考えると原告ユキヱの労働能力喪失率は五〇パーセントであると認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

原告ユキヱ、同スギの各本人尋問の結果によれば、同ユキヱは本件事故当時一八才で健康体であったと認められ、従って同原告は本件事故後なお四〇年間就労し得ると認められる。尤も、婚姻適令期に達した女性のうち多くの者が、結婚し家庭をもつことは被告の主張のとおりであろうが、原告ユキヱは本件事故当時現に前記の如く浦安工業に勤務していたのであり同原告が結婚した場合必ず同社を退社しなければならなかったと認むべき証拠は何もなく、現今、結婚後も引き続き勤務する女性も少くないことを考慮すると、原告ユキヱの就労可能年数を一〇年に限定すべき理由はないといわざるを得ない。

なお原告ユキヱ本人尋問の結果によれば、同原告は本件事故による欠勤中も右浦安工業から事故前と同額の給与を支給され、前記出勤を始めてから現在迄同会社に勤めて事故前以上の給与を支給されている事実が認められるが、証人両角の証言によれば、右訴外会社は、原告ユキヱの収入が同原告の家庭経済上に大きな比重を占めていることと、本件事故は同原告の職務執行中に生じたことを考慮して、いわば慈善的に同原告の労働能力以上の給与を支給しているが、同会社は営利会社である以上、又他の従業員に対する影響上も、前記の如き勤務状態の同原告を従業員として雇傭し続けることはできず、昭和四二年一二月末日限り同原告を解雇する予定であることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

よって原告ユキヱは本件事故発生時から昭和四二年一二月三一日迄は労働能力減少による損害は生ぜず、昭和四三年一月一日からの労働能力減少による得べかりし利益の喪失による損害を生じたものと認められる。原告ユキヱは右期間中の得べかりし利益から五年毎の中間利息を控除しているけれども右中間利息は年毎に控除すべきである。

以上により原告の得べかりし利益の現価を年毎に五分の中間利息を控除するホフマン式計算により算出すると

(算式)105.175×21.6426-105.175×(2+10/12)=1.978.268円

(四〇年間の逸失利益現価)(昭和四二年末迄の取得利益)

となり、原告ユキヱは右同額の損害を生じたものと認められる。

(2)原告堅の財産的損害

≪証拠省略≫によれば、原告ユキヱは退院後入浴マッサージ治療を必要としたが、前記採皮部及び植皮部から病原菌感染のおそれがあったのとその採・植皮部の瘢痕を羞恥して公衆浴場を利用できなかったため、原告堅は、同ユキヱのため自宅に風呂設備を新設しその費用は一一六、〇〇〇円であったことが認められ、右認定を覆えすにたりる証拠はない。

右事実によれば右風呂設備は原告ユキヱの治療に必要であったと認められ、右設置に要した費用は本件事故と相当因果関係の範囲内にある損害と認められるが、弁論の全趣旨により、右風呂設備は原告ユキヱの外に原告堅らその家族も使用していると認められるとともに今後も相当長期間にわたってこれを利用し得るものと推認され、その意味において同原告は右費用支出の反面一種の利益を得ているものということができる。従って原告堅が右風呂設備設置に要した費用額のうち、被告に対し損害として賠償を求め得べきものは、その五〇パーセントに相当する五八、〇〇〇円と認めるのが相当である。

よって結局原告堅は風呂設備設置により五八、〇〇〇円の損害が生じたものと認められる。

(3)  原告スギの逸失利益

≪証拠省略≫によれば、原告スギ主張の如く、原告スギは日給一、三〇〇円の収入を得ていたところ同ユキヱの付添看護のため昭和四〇年二月一八日から同年一一月三〇日迄(二八六日間)欠勤し、その期間中二三九日出勤し得たと認められるから、原告スギは右欠勤により三一〇、七〇〇円の得べかりし利益を喪失し右同額の損害を生じたものと認められる。

(4)  原告らの精神的損害

≪証拠省略≫によれば、原告ら主張の如き事実が認められ、右事実に基けば、原告らに生じた精神的損害に対する慰藉料は、原告ユキヱは一、〇〇〇、〇〇〇円同堅、同スギは各一五〇、〇〇〇円と認めるのが相当である。

なお、前記傷害の部位、程度および後遺症に照らせば、原告ユキヱに生じた傷痕の程度では同原告の両親である原告堅、同スギには未だ慰藉料を生ぜしめないとの被告の主張は採用し難い。

三、被告の示談成立の抗弁

被告と原告らとの間に示談が成立したとの被告の主張は本件全証拠によるも認めるに足りない。

四、被告の弁済の抗弁

≪証拠省略≫によれば、被告は、原告スギに対し同原告の逸失利益の賠償として二二七、六八〇円、原告ユキヱに対し同原告の慰藉料及び逸失利益の損害賠償の一部弁済として二一〇、〇〇〇円を支払った事実が認められる。≪証拠判断省略≫

被告主張の右以外の弁済は、原告らにおいて本訴請求に含めていない損害部分に充当されたものと認められる。

五、結論

以上により、被告は原告ユキヱに対し、二、七六八、二六八円、同堅に対し二〇八、〇〇〇円、同スギに対し二三三、〇二〇円及びこれらに対する訴状送達の翌日である昭和四一年五月二〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべく、原告らの本訴請求は右の限度で正当としてこれを認容し、その余の請求を棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 亀井左取 裁判官 上野茂 大喜多啓光)

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